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IREM−HAWAII年次総会出席録
Reporter  遠藤 雅志CPMR
Supervisor 塩見 紀昭CPMR
日時 2005年9月19日 AM9:30〜PM4:30
場所 アウトリガー・ワイキキ・オン・ザ・ビーチ・ホテル カラカウアルーム

 IREMメンバー3人による発表がありました。いずれもワイキキの開発についての内容でした。開発はデベロップメントと思っていましたが、題目は「WAIKIKI Renaissance」で再生とか復興と言う意味のルネサンスが使われていました。その意味はプレゼンを聞いているうちに理解することが出来ました。
まず最初のプレゼンテーターの「Anne Murata」はロイヤル・ハワイアン・ショッピング・センターの再開発等についてでした。ハワイは景観条例があり、既存建物取り壊しの規制や様々な建築制限等があるそうです。それらをクリアにしながら再開発を行っていくとの事でした。かなり大変な様です。ワイキキビーチマリオットでは7,000万ドルもの資金が投下されたそうです。ちなみに画面では見えにくいのですがロイヤル・ハワイアン・ショッピング・センターでは8,400万ドルの資金が投入されるそうです。ホノルルは駐車場確保の規制が厳しく、これをクリアさせるのが大変との話もありました。しかし、開発に要する莫大な投資マネーは問題なく確保されており、次々と新たな再開発が進行しているとの事でした。一種のバブル状態ですかね。

 2つ目のプレゼンテーターの「Rick Egged」は1990年頃のワイキキは、外国人観光客はおろか、ロコ(地元)もあまり訪れない寂れたビーチであり、それをどの様に活気のある街にしていったかを説明してくれました。まず、より多くの駐車場スペースを確保するために、道路車線を1車線削りました。また、ワイキキの名の由来でもある「あふれ出る水」をイメージした小さな滝をトイレの後ろに設置し、更に木々や花を植え、街全体を緑と花と水が溢れる豊かな街並みにしました。またホノルルマラソンや花火大会等のイベントを随時開催していきました。これらの相乗効果により、多くのロコがワイキキを訪れる様になり外国からの観光客も増えていきました。
3つ目のプレゼンテーターの「Barbara A. Campbell CPMR」はアウトリガーホテルの歴史と再開発に関するものでした。アウトリガーホテルがいかに先見の目があったかをアピ−ルしていましたが、確かに1950年代のワイキキの光景を写真で見せられると説得力のあるもでした。これからのアウトリガーホテルの再開発にはやはり1億ドルもの資金が投下されるそうです。またアウトリガーホテル創業者の娘である「Jean E. Rokkes CPMR」も参加され貴重な話をして頂きました。かなりのお年ですが、かつてCPMRの重鎮だった様です。現在はアウトリガーエンタープライズの副社長です。

(1950年代のワイキキ)
(現在のワイキキ)

 この様にワイキキでは大型の再開発が頻繁に行われ、これらが全て終了するのは2007年以降になるとの話でした。現状の不動産に対し、どの様にPMを行っていくのかというより、古くなったビルは取り壊し、環境にも配慮した最新の施設に変えていく話がほとんどで、ハワイの不動産市場は低迷期を脱し、勢いに乗っている事がよくわかりました。

(開発のイメージパース)

 昼間はハワイ支部の方とロイヤル・ハワイアンSCの中のレストランで食事をしました。ランチミーティングは始めての体験でした。只、人数が47名と多少多かったため、各テーブル毎の情報交換会の様になっていました。情報交換と言っても、私の場合は、非常に限られた英単語を駆使し、いつCPMRになったのか?とかハワイで生まれたのか?どんな物件を管理しているのか?とかそんな程度でした。その後、次期次期会長エレクトのボブが張り切りすぎたため皆さん(特に倉橋さん(2002年度会長)はジェットラグで爆睡状態!?)眠くなっていました。ランチミーティングをよく行う米国人でも眠くなるんですね。新たな発見?です。

 ランチミーティングの後は、ブライアン・ファカルティ(先生)によるディスカッション形式の会議でした。ブライアンはハワイ島で仕事をしており、ハワイ島はオアフ島に比べ、人口も少なく、管理する物件も少ないそうです。其の分CPMRは3名しかおらず、オアフ島の様に競争が激しいわけではなく、マイペースで仕事をおこなっているそうです。欧米は建物を壊さないで利用し続けるとの認識が私にはあり、ワイキキの様に再開発で既存建物を取り壊し、新しい建物を建設するケースは稀なのかと質問した所、シカゴやサンフランシスコ等の大都市では「維持するべきか開発するべきかの長期にわたる収益率を比較して、選択する」との事で、取り壊す事は別に目新しい事ではないと話してくれました。当たり前の事ですが、たまたま聞いた話や読んだ本に書いてある内容をそのまま鵜呑みにすることは、非常に危険であると改めて感じました。日本では、関西と関東では慣習の違いで、敷金に関する考え方が違うのは当たり前だ、という事等は、簡単に理解出来るのに、外国の事になった途端に広い視野で見れなくなる自分の視野の狭さに改めて気づかされました。やはり、海外のアイレムメンバーとの交流は非常に重要です。


 会議終了後、一旦解散し、アウトリガーホテル1階にあるデュークス・カヌー・クラブというレストランでウエルカムパティーをして頂きました。もの凄く繁盛しているお店でしたが、サンセットディナーには最高のロケーションなので混むのは当然だと思いました。私たちはプールサイドでの立食形式でしたが、ようやくハワイに来たと感じることが出来ました。只、驚いたのはドリンクが有料だということです。ビ−ルにするかワインにするかと聞かれアイスボックスに冷やしてある飲み物を出して頂いた後に「ファイブダラー」と言われ、すっかりパティー代を支払っている自分は「兄ちゃん何いっちゃんてんの。チップ5ドルは高いでしょ」と文句を言いました。当然日本語です。でもジョークではありませんでした。この様なパーティーでのドリンク代は飲む人が、その都度、支払うそうなのです。ある意味会費制の飲み会では飲む人が得をしますが、これは非常にわかり易く、ある意味公平です。「でも、知っているなら事前に教えてよ山本さん(2004年度会長)」と言いたかったのですが、小心者の私にはそこまで言う勇気はありませんでした。これも異文化経験ですかね?
一次会終了後に倉橋さんがディスコ行こうと言い出し、ジョディやミッシェルそれにカリフォルニアの役員のスティ−ブも巻き込んで二次会に繰り出しました。But、月曜日で休み…そのため急遽プールバーへ、当然ビリヤード大会となりましたが、山本さんがうまい。悔しかったけど惨敗でした。「ひとつくらい山本さんに勝てないと悔しいなあ〜」と負けず嫌い根性がめらめらしてしまいました。その後、お腹が減って、「ハワイまで来てラーメン?」と思いましたが、ラーメンを食べました。倉橋さんは、ラーメンを食べたことさえも忘れ泥酔していた様です。それでも矢島の健太郎と山崎さんにそそのかされ、また夜の闇へ消えていきました。この日から倉橋さんは、関理事(今回は出席していません)と同じピンクマネージャーの称号を得る事になりました。
(Certified Pink Manager?)
左の写真はプレゼンの休憩時間に会場で塩見さんと一緒に撮りました。ハワイ支部に歓迎されて行ったという証拠写真でもあります。どうもハワイは遊びに行くというイメージが強いらしく、皆さん信用してくださらないので…。